・About
須藤芳巳
東北工業大学工学部建築学科を卒業。
新住協設立当時から、胆振支部長を務め、現在本部理事
北の気候風土にマッチし、住まいと人の健康、自然環境に配慮した家づくりを目指すSUDO ホーム(住宅事業部)を須藤建設副社長として創設、現在須藤建設相談役。
令和元年「スドウヨシミ一級建築士事務所」を開設。
・Contact
住所:北海道伊達市末永町47番地28
Tel:090-3018-9438
Mail:ysudo@gaea.ocn.ne.jp
リプラン「くらしの演出家たち」から引用
・宮大工の家に生まれて
鋸くずを蹴散らし、建て前の切り込み場を駆け回っていた。祖父が丹精込めて研ぎあげた道具を持ち出し、職人の真似事をして刃を傷めては、祖父に怒鳴られ泣いて。 地元の豊浦神社拝殿に刻まれた祖父の名を見るたび、腕白少年は胸を熱くした。
須藤芳巳さんは昭和24年、豊浦町の建設会社(創業大正7年)の次男として生まれた。
宮大工だった祖父は大正初期に故郷・山形県を出て、東京浅草で神社仏閣の宮大工として修業を積み函館の神社普請のため北海道に渡った。そして豊浦に居を構え、寺院や神社などの建築に棟梁として携わってきた。
その背中を見て育った父もまた、建築の道を歩いていた。木屑が香る中、ヤンチャの限りを尽くした少年時代を経て、須藤さんも自然の内に建築の世界を歩いていた。
「中学のころは絵を描くのが好きで、美術部でした。頭にあるものをカタチにしていく点で、絵と建築は似ている。でも、建築は作品が立体になって残るから、断然面白いと思ったんですよ」。
当時2代目を継いでいた父は、家業を工務店からゼネコンへ転換させ、より大きな仕事を求めて突き進み、公共事業やビル建築を積極的に行っていた。同時に、木造住宅を建てることを一切やめてしまった。
「これには訳があります。今で言う寒冷地住宅という発想も技術もない時代、在来の木造住宅はすべて内地仕様でした。冬季のスガモリや結露は当たり前。父は欠陥住宅を造るわけにはいかないと、木造住宅を建てることを封印したんです」。
進む道は正反対に見えても、父のものづくりに対する姿勢には、宮大工である祖父の職人の意地と誇りがしっかりと受け継がれていたのである。
・30年の封印を解く
東北工業大学工学部建築学科を卒業した須藤さんは、道内のゼネコンに入社。
主な仕事はビル工事の現場監督だった。しかし心のどこかに、幼いころから身近に見てきた住宅づくりへの思いがくすぶっていた。「建築の基本は住宅だと私は思うのです。木造がご法度なら、自分が持っているRC(鉄筋コンクリート)のノウハウを生かして、北国の住宅づくりを極めようと思いました」。
実家に戻り、試行錯誤の中、RC造の住宅に取り組んだものの、ここでもRC内断熱による結露の壁に突き当たった。そして昭和59年、後に新在来木造構法普及研究協議会(現 新木造住宅技術研究協議会)を立ち上げた室蘭工業大学の鎌田紀彦助教授(当時)との出会いが、須藤さんの運命を変えた。鎌田氏が提案するRC外断熱、高気密・高断熱・計画換気・全館暖房の木造住宅。それこそが、長年求めてきた「結露しない、北の風土にマッチする耐久性に富んだ住まい」だったのだ。
早速、自邸を実験住宅として建設。さらに住宅事業部(SUDOホーム)を設立し、自ら30年にわたる封印を解き、木造住宅を本格的に手がけるようになった。「うちの会社にはまだ、祖父の弟子、父の兄弟弟子など、腕の良い棟梁がいます。宮大工の流れを汲む伝統技術と、鎌田先生の科学的な理論をドッキングさせれば、間違いなく高品質な木造住宅が実現できると確信したんです。 長年、頭の上を覆っていた暗い雲が去り、ぱっと目の前に青空が広がった気がしました」。以来、北米や北欧からも、より優れた北の住まいを実現するための考え方を学び、着実に木の住まいを進化させてきた。
近年では、北方先進地の街並みや景観・環境に対する哲学を範とした宅地開発、グランドデザインにも取り組んでいる。「さまざまな仕事を通じて、家づくりとは街並みをつくることだと学びました。それはひいては、社会的な環境づくりのお手伝いにもなると思うのです」。
・レンズ越しに未来を見る
仕事一筋に生きてきた須藤さんに新たな暮らしの楽しみができた。毎週末、ニセコ在住の写真家に学ぶカメラが、それだ。「学べば学ぶほど難しい。あらゆるものが映像として写るけれど、肉眼で見るのと同じようにはなかなか撮れないんですよね。 それが、無性に悔しくてねぇ」と、須藤さんは少年のように笑った。写真をはじめてから、青春時代を過ごした隣町・室蘭、洞爺湖・ニセコへしばしば足を運ぶようになった。カメラ片手に昭和という時代の残光がにじむ工場群と港、街並み、自然の中をブラブラ歩く。中でも、創業100年を超える「函館どつく室蘭製作所」のノコギリ屋根が連なる工場風景が好きだという。「長い時間を経て今に残るこれらの建物を見ていると、いずれもがシンプルで美しく、錆ひとつにも時代を生き抜いてきた力と歴史を感じます。
自分がつくる建物にも、こうしたエッセンスを取り入れていきたい。
室蘭の産業遺産は、効率性や経済性優先の時代の中、建築の哲学をあらためて見つめ直す指標になっているんです」。
仕事に趣味に全力投球。いつも多忙な須藤さんだが、もうひとつライフワークとして大切にしているものがある。 建築の現場で長年学んだ経験と知識を生かし、室蘭の裁判所で建築専門の調停委員のボランティアを行っている。 公私の別なく、どこまでも誠実に建築の世界に向かうその姿に、欠陥住宅が許せないと木造住宅を封印した父の遺伝子が確かに息づいている。